テレビがうちにやってきた

温故知新、歴史を振り返りながら明日を探ろう

生成AI,仕事で使うと....

浸透フェーズに入った感がある生成AIですが仕事で使うとなるとかならず修正という問題がついてきます。「ここチョットなんとかして、」とか「この人物を消してXXにして...」とかね。フォトショップの生成塗りつぶしとかもありますから消せなくもない、画面の拡張もできなくはないですが決して何でもできる訳ではありません。

 生成で塗りつぶして背景らしきものを作らせると多くの場合やはり画像は劣化します。普通に描いた絵であればレイヤー分けして描きますから問題なくても生成AIの絵だと厳しいですよね。

そんなわけでその解決策として初めからコラージュで組み立てて背景から切り離しておくという方法でコンペに出したら上手くいきました。こちらです

採用した提案:書籍用のイラスト作成(主に画像のコラージュ)【クラウドワークス】 (crowdworks.jp)

クラウドワークスのコンペです。こちら公募の段階から「コラージュ」という言葉がありましてサンプルとして添えられていた絵もコラージュだったものですからAI画像のコラージュで作成しました。結果的にメインの人物も差し替えがあったり結構変更修正があったのですが割合問題なく対処できました。もちろん生成AIとして出したままの絵でコンペ参加した方が簡単ですがある程度複雑な内容を自分の思い通りに画面として組み立てるのにコラージュなら無理がありません。合成の時のライティングの方向に配慮したり周囲を少しだけぼかして合成することで切り貼り感を軽減するとか多少の手間はありますけど修正対応に強いのは仕事としたら安心ですよね。

切り張り要素も修正もある程度面積のあるものは後から生成して組み立てるほかありませんでしたけどそこはさすがのDall-E様で問題もありましたけれどまあ何とか対処できました。

 生成の画像は教師データから読み込んだ膨大なサンプル画像から作られるはずなのですが医者の絵を出すのに必ず医者が首から聴診器を下げているのはなぜなのでしょうか?少なくとも現実社会で今時首に聴診器を下げてる医者など見かけないと思います。結局現実世界というよりはWEB上での医者という言葉に対するアイコン的画像概念を学んでしまっているということなのでしょうか?おかげで毎回聴診器消しという余計な手間がかかり生成塗りつぶしの気まぐれのせいで消してくれない時は余計なフォトレタッチまでしなければなりませんでしたが....

ときどきですけどランサーズやクラウドワークスで生成AI向きのコンペがあります。まだ依頼仕事に使うには危なっかしい生成ですがコンペなら危険が無いので気軽に出せます。もっとも近頃はコンペでも修正要求出す人が多いので油断はできません。あまり正確性を要求しない内容で細かい規制の少ない案件、....やる気のする内容で日程が空き時間と合っていて金額がある程度出るコンペなら今後とも出すつもりです。イラスト系のコンペはもともとほとんど労力から考えたら成立しないような金額のものが多かったですから生成AIによる応募は今後増えていくことでしょう。それはつまり手描きの絵の出番がどんどん減っていくことも意味します。

それで手描きの絵が希少化して再評価されればいいのですけどね~、それは一回り生成AIの絵が世の中を席巻してイラスト世界が焼野原になった後じゃないのかな?

介護ロボットを出してとたのんだハズなんだけども。

ここで言うイラスト世界というのは仕事として成立するイラスト世界という意味で合って、これから世の中はだれでも高度なビジュアルを簡単に紡ぎだせてそれを利用したりビジュアルによるコミュニケーションを取れる今までにない世界が実現する事と思います。そこまで行くのはもう少し先の事?でも近頃はそのもう少し先というのがどんどん実現していきますからね。もう少し先はすぐ先かもしれないですね。

仕事として絵を描いてきた者としては何が起きるのか?楽しみなような不安なようなです。

増えてきた生成AIバトル

ランサーズやクラウドワークスのコンペに生成AI投稿が増えてきました。

このコンペなんかはほぼ全部AI絵ですね。

VOCALOID 楽曲の一枚絵のお仕事(イラスト作成) | 在宅ワーク・副業するなら【クラウドワークス】 [ID:10218918] (crowdworks.jp)

一部例外はありますがほぼすべての作品が生成AIです。

報酬金額が安いせいもありますが、さすがにこれでは手描きでチャレンジする気にはなれないでしょう、描くのがバカらしくなると思います。

 生成AIは万能な訳でなく、コンペによって向き不向きがあります。あまり細かい制約のあるものは向かないですしアイデアやデザイン性を求める話も向きません。あと特殊性の強いモノもダメです。生成の元データに教師データとして入ってなくては良い絵が出てこないのだと思いますので、そういう物も向きません。このコンペのようにギター弾いてる女性なら良いけど、三味線引いてる小学生の男の子だったら良い絵は出にくいのではないかな?人が描くならそのむつかしさの程度は同じことですけどね。ワタシは1作だけ出しています。どうしてもっと出さないのかと言えば良い絵が作れなかったからです。

 このコンペのお題は「路上で女の子が座りながらアコースティックギター1本で歌っているイメージ」です。路上と言っても色々あります。歩道の脇に座らせようとしたら下の絵みたいに車道に足出して座らせてくれたり、いい感じに座ったと思ったら歩道の幅があり得ないほど狭かったり、服装がおかしかったりあちらを立てればこちらが立たずで各種やらかしてくれました。中々思うようにならないものです。

そんなとこ座っちゃアブナイ

他の投稿者さんを見ますとプロのデザイナーさんもいますがあきらかにアマチュアって感じの人も多い......やはり誰でもできるんですよね、コレ。危なっかしい世界だなと思います。差が出るとしたらどういうシチュエーションでどういう服装でどう設定してどうアピールするか、つまり舞台演出、演技指導、イマジネーション、そういった周辺部の問題だけですね。現段階ではそれをどう実現するかがありますけど....そこはどんどん簡単になっていくと思います。

プロンプトの問題でなしにどんな絵が人の感情にどうアピールするか、という指南書が今後求められるかもしれないです。

ワタシの立場としたらAI絵はやらない方が良いのでしょう。AI絵だと私も初心者に過ぎないし同じ土俵で勝負したら損に決まっています。今は設定されたお題に対して何をやるべきか分かってる(多分ね)だけアドバンテージかもしれないけど、そんなの微々たる差でしかないと思います。

そんなわけで毎月月末が近づくとChatGPTやめようかな~と思うのです

来月はどうしよおかな~??

(この記事のあとで2つ出しました。自己採点で決めつけない方がいいからね~。)

 

 

 

 

 

鉄腕アトム2-AIが仕事を奪う


 鉄腕アトムの中で語られる未来社会、小学生の私にとって、そこで語られる21世紀の社会というのは、遠い未来ではありますが決して無関係な世界ではありません。2000年とは小学生の自分が40歳の世界、ちょうどその時の両親の世代程度でその世界に生きてる可能性は限りなく高いのです。21世紀はアトムのようなロボットが闊歩する社会、手塚治虫はそれを人間を越えた能力を持つロボットと人間との間に軋轢の生じている社会として描きました。職人さんがロボットに仕事を奪われ希望を失ってロボットを恨むシーンとかロボットが迫害されて差別される世界とかです。自分の生きる21世紀とはそんな事の起こる時代なんだなという事は子供のころから知らされてはいたワケです。

 そのころから絵を描くのが大好きだった私ですので漠然と大人になったら絵を描く仕事に就きたいなあくらいには思っていました。子供心にそのころ思ったのは仕事が奪われていくと言っても絵を描くなんて仕事がロボットに奪われるのは一番最後の方だろうなと考えていました。そんな仕事が奪われる頃には世の中は全然まるっきり変わってしまってるに違いないから考えてもしょうがない、....子供だからムツカシイ事は分からないなんてことは決してないのでぼんやりとだけどそれくらいの事は考えていたように記憶しています。

 ChatGPTの登場以来、無くなる仕事が何だとかいう記事は良くみかけるようになりました。仕業が無くなる(弁護士、会計士、税理士とか)とはよく言われますがまさか絵を描くという仕事が自動運転にも先立ってなくなりそうというのは思いもしませんでした。それ以前からPCで絵が生成される噂というかNewsは無くはなかったのですが、それでも2022年夏のMidjounyの登場は衝撃的でした。初期の欠点も次第に正されてきていよいよ今年から生成AIが世間一般レベルでの浸透のフェーズに入ったと私は思っています。車と違って命がかかってないですからね。イラストの事故で人が死んだなんて聞いたことが無いですからこれからどんどん大胆に使われていくことでしょう。

21世紀はロボットがいっぱい

 写真術の登場時にも絵は無くなると言われましたがなくなりませんでした。CGの登場時にも絵の仕事は無くなると考えた人はいました。その時私が思ったのは完全な木、完全な花、完全な人のデータがあればそれのコピペで全て済んでしまうから仕事は激減する、....と思いましたけど起きたのはイラストレーターの敷居が低くなってやたら同業者が増えたことでしょうか?私が仕事をスタートした25才の頃はイラストレーターって希少種でどこにいっても珍重されたものですけど今ではめずらしくなくなったように思います。同時にビジュアル情報が贅沢化して看板、印刷物、動画など世の中ビジュアル情報満載です。アニメ制作も安くなったのか新作がいっぱい出てきますし町内の回覧板にさえもいらすと屋さんの可愛い絵が使われる世の中になりました。

 そんなわけでここから何が起こるかまだ分からない2024年ですが.....今日もどうやらAI絵のコンペがひとつ取れたようです。五里霧中ですが今もこの問題は進行中ですのでその都度、情報発信していくつもりです。

 

 

鉄腕アトムーAIと意識の芽生え

 実はテレビアニメとしての鉄腕アトムはあんまり印象にないのです。

自分が小さかった事もありますし子供の頃は鉄腕アトムよりも鉄人28号の方が好きでした。勇ましくて内容がカラっとしてて子供向きだった気がします。天馬博士に作られた鉄腕アトムですが後から作られた兄(??)がコバルト兄さんで妹がウランちゃん。そっちはおなじみのアトムの育ての親、お茶の水博士が作ったのじゃなかったかな?よく覚えてないけど。時代柄とはいえアトムにコバルトにウランという電力会社が喜びそうな原子力バンザイのネーミングですね。でもよく覚えているのはむしろ小学生の頃に読んだ鉄腕アトムのコミックスの方です。

 マンガの鉄腕アトムに有ったシーンで今でもセリフまで忘れられない印象的なシーンがありました。なぜかココだけ、よく覚えているのです。記憶で思い出して描いた絵なので細かくは違ってると思うけど...鼻のおおきなお茶の水博士が若い頃、ロボットの研究、作成をしている所です。博士は失敗ばかりしていたのですがついに短い時間ですがロボットの覚醒に成功します。そのシーンで...下のような場面でした。

ロボット―意識の芽生え

お決まりですがロボットはこのあと爆発します。まあ失敗ですね。ロボットといいながら人工生命体、人間が自らの手で意識のあるモノを作り上げるという神の領域に踏み込むシーンとして印象に残ったのかもしれません。

....なんとなく人口意識の目覚めというのはこんな風にイメージしていたわけですが現実は全然違うようですね。

21世紀はアトムが闊歩する世界と思って子供時代をすごしましたが2020年を越えてようやく本当にロボットが世の中に登場する世の中になってきたように思えます。予想外?だったのはその過程でコンピューターやインターネットが世の中を十分に変革してきたことですね。未来を描いたどんなSF作品にもそんなものは出てきませんでしたから。(真性のSFファンからしたらいろいろ有るゾとなるのかな?)

ChatGPT4はもうとっくにチューリングテストくらいは突破できると思います。でもPCに意識が宿ったのだ、とは誰も思っていないようですね。じっさいテキストチャットでだけどGPTとやりとりして、それはスゴイのだけども....そうと知っているからなのか何なのか、そこに意識がある、あたらしい意識体が誕生した、というイメージはわかないというかそんな印象は持てないです。なぜなんだろう?

マンガの鉄腕アトムではロボットが社会の中で迫害される世界、ロボットが仕事を奪って行き、人から嫌われ恨まれていく社会、ロボットに人権を与えるべきなんじゃないかという話とかが描かれます。今後AGI(汎用人工知能)が世の中に出てきたら本当にそういう話になるかもしれません。私は必ずしも長生きしたいとは思わないけれど、AGIや自動運転車が走り回るそんな未来はどんな世界なのかぜひ見てみたいなあと思っています。

いちばん古い記憶

 本来,ひとりの一生のなかで、世の中の歴史を語ることなどできないのだと思います。歴史って長い時間の中でゆっくり進行する物のはずですがコト、家電PCインターネットがらみの進歩、進化は短期間で誰の目にも目覚ましい変化、進化が起こり歴史が出来てしまいました。私世代の人なら全員そんな歴史の目撃者な訳です。このブログはタイトルのテレビがウチにやってきた日から他、いろんな家電やモノの進化変化をカタログデータや作り手が語る歴史ではなく、市井の一市民が実際にそれらを手に取り体験してきた世代の記憶として何か書いて残したいと思って始めました。そこに何かしら意味があるような気がするんですよね。これから起きるもっと大きな社会の変化、未来へのヒントがあればいいなあと思っています。さて最初なのでその前提として先ずは記憶のお話です。

 みなさんご自分の一番古い記憶って何でしょうか、何歳の時の記憶ですか?

WEBでしらべてみたら人の一番古い記憶は平均して2歳半の記憶だって書いてありました。ホントかなあ.....?私は2歳半のこと覚えてる気がしないのだけど......幼稚園に入る少し前の記憶とか幼稚園での記憶ならわりあい色々ありますけどね....

それで古い記憶,しみじみよ~く考えて見たら実家の古いアルバムに有ったこの写真を撮った時の記憶かなと思いつきました。下の写真の利発そうな坊やはご幼少の頃の私です。

 

 

 

初めての三輪車

この写真,撮ってもらった記憶がかすかにあります。三輪車を買ってもらってうれしくて記念写真をとってもらった一枚です。それは良いのですがまだ小さいので足が届かないのです。でも記念写真だからカッコつけて~と言われて精一杯ポーズとってる記憶があるような無いような...ですね。左手に持つのはグリコのキャラメル。うれしくてメチャ得意になってる所ですが様子からすると3歳以上じゃないのかなと思います。そうすると私は1960年初めの生まれなので記憶があるのは1963年とかそのあたり以降、鉄腕アトムのアニメ(そんな言葉なかったけど)第一回放送が1963年になってるからその辺からですね、知ってると言えるのはね。

 

 このブログはそんな昭和のお話と現代と、交互にお話しする予定でいます

 まずは鉄腕アトムのお話から始めましょうか。

 

 

 

他流試合しないとワカラナイ事もある

 生成AIイラストは思った通りの絵は出しにくいので多くの人はテキトーに言葉を投げて結果を見てお笑いのネタにするか、まあ何でもいいやという程度の使い方に留まるの


だと思います。でもそこから面白さに気が付いた人、ハマった人。画像の必要性のある人やどうしても出したい絵のある人(カワイイ絵とかエロい絵とか、自分だけが見たいファンタジーとか )はプロンプトを工夫したり他の人の作品や情報を学習してしてどんどん上手になっていくのでしょう。

....さて上手になるのかな?私自身は最初Midjournyで始めてstable diffusionを使ってそれからReonarudAIを使ってbingから今はChatGPTのDALL-E使っています。体系的にキチンと学習する根性も根気もないので行き当たりばったり、あまり今でも初心者と変わらない気がします。....というかこれホントに初心者とか熟練者とかあるのでしょうか?そこからアヤシイ。昨日から使った人でも上手に出せる人は出せるような気がしてしまいます。プロンプトさえ入れてしまえばだれがやっても同じなわけですからね(seed値が変わったりするので最終の結果は差が出たりするけどね。)

 熟練性がないことなんか一生懸命やったってしょうがないですよね?少なくとも仕事とかその辺で人と差別化するために使うアイテムとしてこれは妥当なのかどうか、まったく無価値な空気みたいな画像を無限生産してるだけかもしれません。今ある生成AIになれてソレに習熟したところで大本の生成AIさん自身がUPグレードしてしまえば、今あるお悩みなどすべて解決!となるのは目に見えています。現に初期にあった問題ー手がちゃんと生成されないとかかナントカなんてことは末端制作者の工夫などに関係なく最近ではすっかり正されています。今現在、問題になっている画像、人物キャラクターの統一性の問題も早晩解決するかもしれません。これは原理的に難しいのだともいわれますのでなんともわからないですけど。

某コンペに出さなかった絵、服装が変??

 上手とか下手いう事が成立し得るのか、果たし

て熟練性や技術性があるのかは自分で考えるより人に評価していただく問題と思いますので、ランサーズやクラウドワークスでそれらしいコンペを見つけては参加しています。命題に対する回答の仕方という意味では経験は生きると思っていますけど画像の作成能力そのものは変わるはずがないようにも思えます。でも使っている生成AIの種類によってクセは感じますし契約のせいで出力画像サイズに限度があったり(クダラナイ差ですけどね)....無くはありません。はたして差別化できるのでしょうか、トライ&エラーする中で気が付いたことなどもこれから順次書いていくつもりです。

 

 

 

 

生成AI浸透期

生成AI様がお作りになった絵


 生成AIイラストがいよいよ浸透してきたと感じます。ランサーズやクラウドワークスのコンペでもイラストコンペの投稿、半数以上が生成AI画になって来ました。著作権問題も学習に有著作権画像を使っていなければ問題なし、生成AIの最終の作り手が有著作権画像の参照を促す事さえしなければ作成画像の使用に問題なしというのが目下の方向性のように思われます。そんなことどうやって確認するんだ?という問題は置いといて、ですけどね。

 ご存じのとおりですが生成AIはプロンプトさえ整えば十数秒レベルで複雑な画像を描きだします。人が描けば3日4日、事によると1か月でもかかりかねない絵だって関係ありません。絵の複雑さと生成時間にあまり相関は感じないです。むしろ複雑な絵の方がAIは得意なのではないでしょうか。ごまかしが効くというか、人の目は複雑な絵だと細部は見ないので問題なく思ってしまうのかもしれません。

 これも知られた事ですがAIは文章同様、もっともらしい絵を描くのは得意ですがホントに正しい考証は不得意というかやる気がないというか不正確です。私の知る限りですが基本的に西欧文化圏から遠いものほど不正確に描きだされる傾向があると思います。英語ベース、英語文化圏ベースの情報が元になっているからだと思いますけどプロンプトでがんばっても、元の学習データが何なのかという壁は末端制作者では超えられない壁は存在してる印象です。もちろんこんなことは今後どんどん変わっていくのだと思います。

 そんなわけでウェブには今後ともどんどん不正確な絵や写真が増えていくことでしょう。何しろ人が絵を描く、写真を撮るという制作能力とAIのそれとでは違いすぎます。オマケに制作者もこれまでなら一定の訓練や知識を身に付けないと作れないあくまでも一部の人が作っていたのが誰でも参加の世界....こういうのを民主化というのだそうですがさて民主化するとどうなるか?AIで描かれた絵、AI絵はそこら中に溢れかえることでしょう。そんなものすでにいらすと屋さんで経験済みかもしれません。だからといっていらすと屋さんが全てのイラストを駆逐しなかった訳ですし人は無い物ねだりですからイラストの仕事がなくなる事は無いと思っています。どのあたりがどこまで残るのかは私も興味津々ですしできればまだもうしばらくは残り続けたいものだと思っているのでそんなお話もまた徒然に....。